秋月・隠岐・浅利・岩城・姉小路・宗・相馬・伊東・田村・大宝寺
さらには和賀氏や稗貫氏なども。
「現在の秋田県仙北地域では、大曲に前田氏、六郷町に六郷氏、
千畑町に本堂氏がいました。前田氏は滅びましたが、江戸時代に本堂氏は常陸の大名、
六郷氏は本荘藩主になりました。」
「越後の阿賀野川(揚の川)の北のいわゆる揚北衆もマイナーな戦国大名
といえるかも知れません.新発田重家とか,村上にいた本庄繁長とかは,
上杉氏から独立,乃至は半独立していたようです.新発田重家は天正後期に
ようやく上杉氏に滅ぼされていますし,本庄繁長は後に上杉氏に従うようになります.」
肥後一揆で滅亡した国人全部。
すべて佐々成政のせい。
マイナーというより自分が知らないだけじゃんお( ^ω^)
西国から見て関東東北の大名がみんなマイナーなように
東国から見れば九州四国中国の大名はみんなマイナーだお┐ (´ω`) ┌
マイナーというのは知名度のことではなく
石高とか合戦歴のことではないか?
じぁあどこまで「大名」の範疇かも決めないと。
江戸時代の一万石基準?
太閤検地以前の戦国大名の石高はあてにならないのではないだろうか?
>>3
> 関東だと真壁氏とか豊島氏とか・・・・
真壁氏は形式的には佐竹の家臣だったが
実質的には独立勢力。
江戸氏も実質的には独立勢力だと思う。
真壁氏は佐竹洞中に属していただけで佐竹氏に臣従したのは天正18年以降だよ
もっとも洞の定義によって違ってくるけど…
江戸氏については佐竹義昭に敗北してからは佐竹と戦に及ぶことはなくなったが
領内統治は守護不入の特権を最後まで保持していたし、独自に外交や戦も行っていた
真壁氏よりは関係が近いが旗本には遠い
家臣か大名かと言われると断言はしにくい
戦国時代なのにほとんど合戦しなかった大名というとどこがあるの?
やっぱり隠岐氏とか?
宗氏は少弐氏の配下だから、何度か九州に遠征しているが。
隠岐さんちは宗清の代で島内で起こった紛争を尼子の後援を受けて鎮圧したり、
宗清の孫・為清の代では尼子家再興運動に参加したり(その後恩賞関係かなんかで仲たがいして討たれたけど)ちゃんと戦に参加してるよ
で、戦国大名なのに合戦をあまりしなかった大名はどこがあるかだが。
戦争はしているが
房総半島の武田氏はマイナー戦国大名といえないだろうか?
ちょっと前まで長宗我部なんてマイナー大名だったのに
某ゲームのせいで有名になっちゃったよな
知る人ぞ知る的な存在感が好きだったんだが・・・
長宗我部はマイナーじゃないでしょ。
マイナーなのは土佐一条氏とか。
野望に出てくる大名家はもはやマイナーではないのでは
>>32
波多野氏よりも赤井氏(直正限定?)の方が戦国大名っぽい気がするw
まあ波多野氏も初期の戦国大名といえばそうなんだけど。 赤井英和の先祖ということだが
武勇にのみ長じていたとも。
>>33
そいつら備前じゃなくて播磨じゃね?
マイナーと言えば一向一揆に滅ぼされた加賀の富樫さんとかは?と思ったがあれは戦国時代のちょっと前ぐらいの守護大名か。
下野の那須とかはどうなんだろうか。
>>36
> 北伊勢の諸勢力はどうかな?
> 神戸や長野あたり
神戸はマイナー大名だと思う。長野はどうだろ? 下野の那須氏とか宇都宮氏もマイナー大名かもしれないが
宇都宮氏はけっこう戦争が強かった。
相馬氏もマイナー大名とはいえ騎馬部隊が強かった。
下野那須は烏山で保つ
防戦での強さは倍以上の動員の佐竹を何度も追い払ってる
とにかく烏山の立地がいい
安房の里見は戦国大名といっても
地理的に北条以外とは戦争できないわけで。
関東屈指の名族である宇都宮や那須がマイナーなら関東大名は全部マイナーじゃんお( ^ω^)
立花宗茂の弟の高橋統増はマイナー大名に入るんだろうか?
そもそも立花は戦国大名じゃないじゃんお( ^ω^)
真壁氏は佐竹氏にくっついて秋田に引っ越したんだっけ?
私の先祖は、津軽為信に攻め滅ぼされた北陸奥の「朝日氏」の末裔らしいのだが、ゲームの信長の野望にちっとも出てくれないなぁ。
マイナーつーと北郷氏、陸奥石川氏、南条氏、伊予宇都宮氏の事か?
禰寝氏、米良氏、美作三浦氏、伊地知氏、菱刈氏、土持氏、北原氏、
この辺になってくると豪族なのか小名なのか俺には区別がつかん。
>>55
> マイナーつーと北郷氏、陸奥石川氏、南条氏、伊予宇都宮氏の事
陸奥石川氏 ← 凄いところ出してきたなwww でも鎌倉時代の陸奥石川氏は従四位下大膳大夫
これは幕末の毛利家と同じではなかったかと思う。
出羽の天童や白鳥、九州の城井、少弐、菊池、有馬、肝付
関東も千葉とか佐野とか
武田でも安芸武田、若狭武田、上総武田
他にも土岐、成田、木曽、諏訪、小笠原などなど
意外といるもんだな
日向の伊東氏はマイナーながらも鎌倉時代から明治維新まで完走しているな。
某ゲームで大名扱いされてる大名とか家臣とはいえ
登場している大名ならまだいいが名前すら登場せず
しかも地元民にそんな大名いたの?てされてる大名
は悲惨だよな
秋月や姉小路や相馬がマイナー大名?
ノブヤボに出てくる武将ならマイナーではあるまい。
大笑いなのは「富樫」がマイナー大名とかいうレスがあったことだ。
確かにノブヤボには出てこないけど、メッチャ名族やん。
>>63
名族どうのとかじゃなくて一般的知名度がやっぱ
低いから名前があがったんだろ 富樫は一向一揆がらみで戦国よりも日本史的に有名なんじゃないか?
名族であっても石高や軍事力が弱ければ戦国期には役立たないでしょ。公家ならともかく武家では。
いや富樫は「安宅の関」でも有名だしな。
そもそも富樫はれっきとした加賀国守護だし相当な名族。
>>64
富樫をマイナーとか言ってるのはノブヤボから戦国ファンになったような連中ばかりだろ。
>>65
まるきり逆だと思うが。
>>66
富樫はむしろ普通に石高や軍事力や権勢は強かったよ。
ただ相手があまりにも悪すぎた。あの一向一揆だからな。
最盛期の信長ですら、手を焼くような一向一揆に囲まれたら、そりゃやられるよ。 朝倉宗滴は「越前・加賀の三十万の一揆勢と戦った」という逸話がある。
勿論「三十万」なんてのは相当な誇張があったのは間違いが、
それでも、相当な大軍であったことは間違いない。
こんな連中の真っ只中にあった富樫はかなわんよ。
「富樫家が弱かったんじゃない一向一揆が強すぎた」のね。
一向一揆に攻め殺された富樫政親はむしろ富樫家の勢力拡大を目指した有能な君主だった。
名族基準なら斯波義銀や一色義道もメジャー大名だな。
石高や軍事力のわりに「官位」が高い大名てのもいるな。
室賀氏はマイナーかな?
いや、それ以前に大名って呼べるかな?
BASARA、無双から入った奴よりノブヤボからのほうがましだけどな。
ほんと、じゃあどういう入り方なら文句無いんだって
きっかけはみな何かしら些細なことだろと
まあ「ゲームから入った」のがいけないというか
「ゲーム基準でしか見ない」のがいけないって事ね。
戦国時代なのにほとんど戦争しなかった大名=日向の伊東氏はどうだっけ?
戦国時代なのにほとんど戦争しなかった大名をあげよ
↓
内ヶ島氏は戦争ではなく地震で滅んだのではなかったか?
>>80
戦争し続けたのが伊東の個性だというのに・・・。 戦国時代なのにほとんど戦争しなかった大名ねえ。
ちょっとわからないな。
戦争しなかったなんて既に他の勢力に従属してたとか、早々に滅んじゃったかじゃね
そうなると大名にカテゴライズしていいものか難しいところ
宗氏もちょこちょこ九州に上陸して戦争している。
たいてい苦戦だったようっだが。
佐渡の本間氏
対外戦争は長尾為景の代に越後へ援軍を送ってるのと景勝に征服させたくらいか
>>95
う〜ん、ずっと分家と戦争してたよね。
関東の足利義氏とかかな。
根っからの平和主義者かなんかで、戦争とは無縁の暮らしぶり。 宇喜多直家は戦争ではなく謀殺や暗殺でのし上がったようだが。
大規模な戦争は生涯1回くらいしか経験していないはず。
謀殺を使った大名はたくさんいるけど、
戦をほとんどせず謀殺ばっかりで没落武家から数カ国に支配をのばした直家は異端中の異端
宇喜多直家は合戦が下手だったかというと、どうもそうでもない雰囲気。
>>97
信長における桶狭間や長篠の様な、著名な合戦が1回だけというだけで、
実際には明禅寺合戦以上の兵力動員して直家本人も各地を転戦してるよ。 ただ明禅寺合戦も純粋な合戦ではなく、
ちょっと前に三村氏の当主をテロ(狙撃)で暗殺したり、
さかんに敵将の寝返り工作をしている。
直家にしてみれば暗殺や謀略に合戦をトッピングするような感じなのかも。
>>59
上総武田なら武田信長という物凄い名前のが祖だったな
結構この人凄い働きしてるから驚くわ 壱岐は戦国時代には松浦氏が治めていたけど、
松浦氏はマイナーじゃないよね。
相馬とかマイナー過ぎて何してたのかよく分からないお( ^ω^)
陸奥相馬の方がずっとメジャーな気がするのは東北人だけだおうか( ^ω^)
マイナー過ぎて記録が残らず何してたのかよく分からない戦国大名ってのもいるんだろうな。
飛騨とかあのへんに。
摺上原合戦敗退、蘆名氏滅亡の一因をなした猪苗代盛国って最後はどうなった
のだろうか?
小田原参陣が遅れて他の陸奥大名同様取り潰された?
猪苗代氏は大名じゃないよ
葦名氏の被官から伊達氏の被官へ乗り換えただけ
仙台藩では準一家として優遇された
「信長の野望・全国版」だけで有名な大名というと
紀伊の堀内氏?
>>122
ありがとう。
最上に滅ぼされた小国の細川氏意外な所では前田三代の陰で目立たない、
おまつさんと利家の次男利政はどうですか?
領国(伯耆・黒坂)もマイナーな関一政 関一政は川中島をおさめていたこともあったんだなあ。
>>125
ソヤツは大名扱いでいいのが?
よくわからんが。 北信の笠原
南信の高遠・仁科
東土佐の安芸
羽後の浅利
あと奥州斯波
>>132
高遠とか仁科とか武田関連で名が知られてる。 那須氏が大名じゃないなら上野、下野、常陸、下総あたりには大名がいない事になる
安房の里見が大名なのに、那須や宇都宮が大名でないとはいえないだろ。
遠山氏は取り潰しも移動もなく幕末まで続いた大名家だけど、有名な城主は織田と秋山だけだな。
同じ美濃の遠藤氏は、唯一のウリが「山内氏室・松の出身地という説がある」だけだな。
伊東と島津はどちらも古い家なのに、どこで差がついたのか?
しかも島津は分家が守護の本家を倒して薩摩を支配したんだよな。
伊藤盛正ほど華麗な戦歴を持っている奴はいないだろう
特に関ヶ原では大活躍
城は三成に取られ、陣地は秀秋に取られ、戦後は改易されw
関ヶ原前哨戦での伊藤盛正は
大垣城から福束城へ後詰に出たけど
対陣中に東軍に背後に回られ放火や攻め立てられたので驚いて大垣城へ退散するという
大活躍をした
宇喜多氏の戦いぶり
直家〜秀家については
静岡新聞朝刊に
サカイヤタイチの
「3人の2代目」という
連載小説で詳しく
接する事ができます。
庄氏や土持氏はどう?
庄氏は一応、児玉党の宗家なんだけども。
>>149
松浦は『マツウラ』ではなく『マツラ』と読む、と去年ようやく知ったド素人の俺… >>151
普通にまつうらって読んでた… サンキュー
東北、関東、九州あたりは地方史をじっくりやってないと分からんよなあ >>151
> 松浦は『マツウラ』ではなく『マツラ』と読む
「あやや」と読んでもOK
地元が有名だと思っているのは田舎者の証拠だお( ^ω^)
他地域から見たら大概の大名はマイナーだお( ^ω^)
全国的に多少知名度があるのはせいぜい中部ぐらいかお( ^ω^)
堀内氏虎、関盛信、山本忠朝、海部友光はマイナーだよね?
>>156
堀内氏は「信長の野望」に登場するから、多少の知名度がある。 せめて江戸時代の区分区分から万石以上を大名と呼ぼう
先祖の関係から信濃の伴野氏,大井氏,平賀氏,望月氏,海野氏,依田氏,真田氏等様々
挙げられるが『大』名かもしれんが地元民も知らん豪族だろうな・・・
追っていけば限りなく挙げられるからなwww
真田家の重臣に望月主水って人がいるけど
その人は望月氏の流れなんだよね?
>>163
大井氏は信玄の母の実家として知名度ある。 戦国時代の隠岐島や佐渡島はどんな感じだったのだろうか。
佐渡は鉱山が有名だったよね
金が採れるんだったかな?
戦国時代ではなく秀吉の時代になってからではなかったか?
佐渡のゴールドラッシュは。
戦国時代に佐渡治めてたのは本間家だったかな?
上杉に臣従してたんだっけ
>>169
> 戦国時代に佐渡治めてたのは本間家だったかな?
たしかそう。
> 上杉に臣従してたんだっけ
景勝時代(秀吉時代)には臣従していたと記憶。
しかし謙信時代(戦国時代)には(形式上はともかく、事実上は)半独立の状態だったという説もある。
金が取れる様になったのは秀吉の時代。
山形の本間と同門。長尾家と友好で上杉とは反面。
景勝に滅ぼされる。
>>163の案を取り上げるとこのスレの意味無い件について。 >>165
こういう輩がいるから困ってしまうんだよな・・・
とことん知りたいなら調べろ。じゃなきゃキリが無いから止めとけって
事だ。ちなみに信玄の母の大井氏とは甲斐大井氏の系統で信濃小笠原流
大井氏とは全く無関係。JK。 スレタイが戦国『大名』だよ?
ただのオタクの誰も知らん所領5百貫の武将とか挙げても困るだろ?
オタク過ぎて放置。
元親や元就が勢力伸ばさなければ
毛利氏とか長宗我部氏はマイナー止まりだったんだろうな
>>176
赤座といえば小早川、脇坂らと関ヶ原裏切り5人衆と言われた、あの赤座直保か 270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 03:33:55 ID:OdMzCbUJ
五島列島の宇久氏はもっと注目されてほしい。
>>175
長宗我部氏は所領三千貫だっけか。
まあ、マイナー武将で終わりかな。
奉行の信秀の方がよっぽど金持ちだ。
>>180
官位は従三位参議まで昇ったんだな。
官位だけなら当時の武将のトップクラスかな? 俺は奈良県民だが、奈良県民でさえ知る人ぞ知る現・奈良県生駒市北部の『高山(鷹山)』氏なんかはどうかな?
高山右近の高山氏と同一視する人もいるが、全く別の系統。
筒井や松永、もしかしたら細川、大寺院(スマン忘れた。奈良にある大寺院やったと思う)に影響を受けて半所属してたような感じだが独立性もあり、
一応1万石以上あったようで大名に近い豪族のような気がする。
詳しくは知らんが信長に滅ぼされたらしい…。ホンマによく知らんが。
ちなみに、後白河(だったと思う)に地元の竹を使って茶道の茶筅を作り奉納し、『高穂』の名を頂き、それ以降『鷹山』から『高山』に改名したらしい。
滅亡後、一族?家臣?が一子相伝で茶筅の製作過程を伝承し、今は全国の茶筅の8〜9割を生産出荷してるらしい。
奥会津の山内氏
嫁さんの機転でのし上がった山内某よりもよっぽど名門だぜ
>>182
ノブヤボ関連でよくこのスレにも出る
堀内氏とかもだな。 >>183
子孫がプロの将棋指しになったらしい。現在もたしか現役。 大光寺氏
津軽大光寺領主。
戦国期の当主光愛は津軽為信と戦うが、破れて比内に潜伏、
その後南部の比内攻めの際に南部軍を呼び込む役目を果たし、
比内戦失敗後は南部に復帰するなど結構波瀾万丈な人生送っている
為信が制覇する前の津軽は小勢力の割拠する地域で、マイナー好きには結構おいしい地域
>>191
大光寺は南部庶流で、津軽為信独立前の津軽じゃ大浦・浪岡と並ぶ三大勢力の一角だったりする。
>>196
> 肥前の西郷氏
西郷隆盛の先祖は肥後から薩摩に来たとの伝承がある。 >>200
信長の野望嵐世記で初めて存在を知った大名だわ
意外に名門だよね >>203
自分は蒼天録で知ったよw
若狭、安芸なんかと次いで上総武田家庶流なんだよね。 あと書き忘れたけど、なんで真里谷に改名したんだかな。
>>207
蠣崎(松前)氏と同じ感覚かな?
蠣崎氏も元は確か若狭武田氏だったはずだから。 上総に侵攻した信長の直系が庁南で傍系が真里谷
どちらも地名ね
庁南の最期の当主豊信は信玄の三男だとされてるね
負け続けても最後に勝利を掴み取った武田信長はかっこいい
上総武田氏は足利義明(多分)を小弓公方に擁立したり、
一時はそれなりにがんばっていたよね。
ま、結局後北条に負けちゃうけど…。
後北条に対抗し、がんばっていたのが常陸の多賀谷。
合戦上手なら結城洞中の水谷正村。
いずれも関東人しか知らないマイナー大名だけど
>>29
> 長宗我部はマイナーじゃないでしょ。
>
> マイナーなのは土佐一条氏とか。
安芸氏はまちがいなくマイナー 安芸よりマイナーなのが池内氏
香宗我部の家臣だけど。
大坂の陣直後から真田や後藤の活躍は人々の口に挙がってたが毛利は無し。
最初から差ついてたとしか
>>224
森あらため毛利は戦国大名ではないでしょう。秀吉の部下からの出世組。
それ言うときりがないからやめようぜ
戦国大名も戦国時代も定義が曖昧だし、どうせ結論なんか出ない
>>230
まあ大まかにいうと応仁の乱以降、本能寺の変以前ではないだろうか? いや、きっと1588年から1590年までの2年間に違いないw
マイナーな大河ドラマとかあっても
いいよね
九州三国志とかやんねーかなー
>>233
視聴率がとれないw
俺としては「後北条五代」をやってほしいんだが。 山内ができるならなんでも出来そうだがなぁ
今までやったことがない九州戦国ものは見たい
岩手はマイナー大名の宝庫だぞwwwww
北から九戸。斯波。和賀。稗貫。阿曽沼。大崎。葛西が居たけど
全て全滅してしまった珍しい例。
守護までやったものの、いつの間にか分家の方が遥かに有名になってしまった小山氏。
戦国時代入る前に宗家が滅亡してしまったのが痛かった。
小山家の御当主(現在の当主はかなりの老人)は、小山市に帰還して住み続けていると聞いた。
鹿チャンの尼子復活作戦に参加
裏切って負けるけどな
越中三分の神保、椎名、石黒は
神保だけマイナーじゃない(メジャーとも言えないが)気がするのは
やはりノブヤボの所為だろうか?
>>244
上杉謙信の関連本に名前だけは出てくるからね。 知名度の低さでは
斎藤>>>>>>鞍河>石黒>>椎名>神保
だろう
仁木一族の没落度は異常。
足利幕府創業の頃はあんなに凄かったのに、どうしてこうなった…orz
しかし下野の宇都宮下野守国綱は、浅野長政、石高を過小評価して差し出しただろと言い掛かりをつけられ、除封、改易。
戦国大名なのか 有力国人なのか
単なる守護、守護代なのか
微妙なのが多くない
多いね。
当時は「半独立」の大名もいた。真壁氏なんかはそうでしょ。
その仁木一族は同級生だったが本人はいたって元気そうだった
他スレでおなじみのうざくて臭いマルチも、
2つ並んでしまうのを見ると、「ああ、ここも過疎ったなあ」という感慨に変わるね。
佐渡の本間は漫画にもなったから有名か
あとは隠岐の隠岐氏、五島の宇久氏、天草の五人衆あたり?
瀬戸内海までカウントしだすともっといるけど
あと板部岡江雪が八丈島までわざわざ行った話があるね
宗もそうだけど、宇久も家督争いで島を追われたり奪い返したりと、なんだかんだとキナ臭い
宗氏の歴史で最大の遠征は、関ヶ原合戦での大垣城包囲?
佐渡の本間氏は某漫画で酷過ぎる扱いだったな・・・
実際は上杉の侵略だったにも関わらずあの描かれ様は流石に哀れ。
天地人で揚北衆がもう少しクローズアップされるべきだった…。
無理か。前田慶次でさえ登場させなかったんだから…
1492年12月滅亡だから、明応の政変が戦国時代の始まりと考えるとアウトなんだよなぁ
>>277
やっぱり山伏か・・・
平氏っていう記述を何かで見た記憶があるけど思い出せない 能登畠山氏は、長連龍の信長への支援要請が早ければ近世大名として生き残れたのかな
1万石とかで良ければ家康が拾ってくれたかもしれない。
>>279
七人衆から実権を取り戻そうとした義続・義綱親子があの体たらくでは無理だろうな
幕府が機能してななかったり、無幕府状態の時代に、何を持って大名としてるの?
>>290
民明書房「世界の指導者の半分は日系人だった」を読め。 切支丹大名で有名な有馬や大村はともかく
その敵役としての後藤は知名度がガクンと落ちる
-‐ァ┬‐- 、
/:::: ≦::Y凡Y:≧ \ むかーしむかし有るところに以下略
〃.::::::::((_厶_マW乙人)::\
//::((>ミx:::::>-┴‐<::ヾ、:\
//:::::::::||::::::}/} Y ヾ \_辷}:》、 それは前年の関ヶ原の合戦のおり
/ {乂:(:::ル/ ハ 人乃}__乂〉ヘ::::/ く
>ミ辷ィァ/、 ィ介ァ{::::ト、:ヽ::::.:廴W ̄`〉 毛利勢は敗北した西軍の石田方に与し
{ー' \// ゞイ:::/ハ::| 斗七:ハ:::トく Y 東軍に間接的な脅威を与えたという
Y rャ^//广ア j:ノ ィぅ抃|:f}ト、⌒
ゞ乙ヘ从:l::i/ィぅ圷 込り }ン:|::}=- 、 罪により6カ国を没収
/:/:i::::{うトハ 込り 、 八:|::ト、≧=- 、
l/.:.:|::::|`ーァ 、 __ , イ::.:.八≧ミ、 ヽ 2か国の所領のみを安堵し
--==≠::ノ|::::|:::::/リ:::> 、 ィ刋:.::/:「Zi:〉ハ| } その2か国の所領中
/:-=≦/:::::::::八:|::/ィ个^ : : }  ̄ l_:/::/:ハ [<:| /
/´ /.::.::.::.イ.::::::リハ≫- / /::r 、:::::」_}-、 ア>x -─ 、 萩城のみの保有しか
/ /.::.::.:::/:/.:::::/i:i:i:i:i:i≧ミ> 、 /:/:.:ヽ Y /r‐ヽ/トY.:::.:::.::.::ァ::⌒ヾ、許さぬという内容であった
i\ 厶イ.::/::.:/.::.:/{i:i:i:i:i:i:i:i:i:i:i≧x__c/イ.::::::八 \{幺 }ソノ.::__/..::::::::::::.:\
| /.:.:.:/.::::イ.:::::/::f´ ̄ ̄ ̄ 乂 /.:::.://、\  ̄マY}}ハ:::::::::::::::::::::::::\
ここに名前出てるけど、俺で本家の家系が断絶するわ・・・
本家が移るだけで断絶しないから安心して寂しい老後送っとけ
ちゃんと受け渡しできるように今からまとめとけよ
そもそもマイナーとはどのレベルから見てなのかね?
歴史に興味がない・それほど詳しくない人間と、歴史や地方豪族が好きな人間とでは
「マイナー大名」の定義も違ってくるのではなかろうか?
九州で例えると
・有名(ここだけ有名)
島津(幕末と戦国末期関連)
大友(戦国末期・キリシタン関連)
・名を聞く事はある(ここから準マイナー)
龍造寺(戦国期の活躍)
伊東・有馬(天正遣欧使節団関係)
菊池(戦前教育での持ち上げ)
・地元以外では忘れられる(マイナー)
相良(人吉藩)
肝付(島津のやられ役として)
大村(キリシタン関係)
宗像・阿蘇(主に神社・観光地と関係して)
・マイナー
土持・城井・松浦(ただの豪族)
秋月(本拠地が分かりにくい)
高橋(養子縁組でゴチャゴチャ)
和仁・隈部(国人一揆以外で名を聞かない)
etc.
といった具合なのでは?
>>297
> 相良(人吉藩)
> 肝付(島津のやられ役として)
このへんはマイナーだなあ。
九州だと伊東もマイナー。 弱小ながらも、いちおうの独立勢力なら大名でしょう。戦国時代には。
>>300
独立勢力であり、他の大名に従属していないことが条件だろうか。
常陸の江戸氏や真壁氏は半独立勢力であって、形の上では佐竹氏に臣従していたから
「戦国大名」とは言いがたいと思う。 >>297
・有名(教科書に登場)
宗・種子島
・名を聞く事はある
少弐(戦国以前のほうが有名) >>297
>菊池
肥後の豪族には違いないだろうが、大名か?
相良や阿蘇は中央(鎌倉、室町、江戸)から大名或いはそれに準じる扱いだったが菊池は違うんじゃね 菊池は国司だったりする肥後守を独占してた守護大名
相楽や阿蘇は明確ではないにしろ菊池の言うこと聞かないといけない立場よ
>>303
菊池は南北朝からずっと肥後守護職だね
戦国初期に傀儡化され、中期に滅んじゃうからあんまりイメージわかないかも知れんが 菊池氏はマイナー守護大名ではあるがマイナー戦国大名ではない
里見家は後北条家に臣従した時期があったのだろうか?なかったのだろうか?
本庄は上杉に臣従していなかったか?
佐渡の本間氏は上杉に臣従するまでは戦国大名だったと思う。
播磨は小大名入り乱れてござる。
置塩赤松、龍野赤松氏、佐用赤松家、別所、宇野、小寺、三木、浦上(微妙なところ)
>>309
ないよ。
正木は行ったり来たりしてるけどな。 マイナーかどうかって言われるとねえ
槍大善は超有名だし映画のぼうの城で正木丹波なる人が活躍してたし
里見以上に知名度あったりして?
>>318
信長の野望・全国版では堀内氏が大名だったな。 安房正木氏は半独立勢力というほどの勢威があったのかどうか?
Wikipediaとかその他サイトでも正木氏は戦国大名にカウントされてるから戦国大名でいいのでは?普通に
安房正木氏とか常陸江戸氏や常陸真壁氏は半独立勢力だったかもしれないが
形式的には臣従していたのではなかったか?
数郡〜の所領を持ち、独自の家臣団など持った独立性の高いのが
戦国大名ではないだろうか?
里見氏の麾下ですが、近年の研究?では
臣従というよりも同盟という言い方が正しいそうです。
天文二年の里見義豊のクーデターについて記されている『快元僧都記』では
里見氏と正木氏は同等のごとく記されているのも正木氏が独立性の高いお家であった証拠の1つなんだとか
なにこれ里見スレ?
越前のじいちゃんも知ってたし、当時は有名だったのでわ。
>>324
>近年の研究?では
> 臣従というよりも同盟という言い方が正しいそうです。
織田と徳川みたいな関係だろうか? しお歴史的快挙ニンニク乗客贅肉ポイ捨てゴミエアライン塩素関西京スラム規定野球ローソンビールしらふイランシリア英とんこつニューヨーク森林火災解除flashマックさいむらアリナミン鷹のつめバブル法香ラーメン
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−ジェットストリーム−
俺の家は戦国時代は長門国に領地を持つ大内氏の重臣だった。家自体は鎌倉時代から続く
家だったが領地は小さくて細々と生活してた。一応お城もあった。ググれば家系図も出てくる。
大寧寺の変でそのときの当主は君主とともに討ち死にした。出陣の際の絵が残っているそうだが俺は見ていない。
大内氏滅亡の後は毛利氏の家臣となった。家には先祖伝来のお宝がかなりあったそうだが
萩の大火でほとんどが消失してしまったそうだ。
甲斐(郡内)の小山田、武蔵の成田、太田、本庄、深谷上杉、藤田
あたりはどうだろうか?
まあ、小山田は武田の家老ってイメージもあるが、小山田弥太郎の
時代には国中に攻め込んでるし、次代の越中守信有が郡内守護名乗
ってるし。
武蔵の連中は時と場合に応じて、上杉と北条の間を行ったり来たり
って感じだが。
飛騨の内ヶ島氏は可哀想だよなー
金森軍に降伏して美濃の娘婿の各務氏一族と揃って織田から領土を守りきったお祝いをしてたのに
天正大地震で一族郎党、町民500人揃って轢殺しちゃうなんて
娘婿に簒奪されて内ヶ島に身を寄せていた東氏のこともたまには思い出してほしい
>>338
もし大地震がなければ東常堯はどうなっていたんだろうね? 何気に天正大地震で前田家と山内家の一族の誰かが城の下敷きになって死んでるんだよね
(マイナスSTAP胞細)(沖縄神田政典制圧)
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川崎50代厨房教育違反アシスタント 丹羽長重
・丹羽長秀の子
・1585年、越前国・若狭国・加賀国2郡123万石を相続
→同年、佐々成政の越中征伐の際に、家臣に成政に内応した疑いでをかけられ、若狭1国15万石へ大減封
重臣の長束正家や溝口秀勝、村上頼勝らも秀吉に奪われる
→1587年、九州征伐の際に、家臣の狼藉を理由に加賀松任4万石へ減封
→小田原征伐に従軍した功によって、加賀国小松12万石に加増移封
→秀吉の死後、徳川家康から前田利長監視の密命を受けるも西軍に参加
→1600年、2万5000人の前田軍を相手に3000人の兵で小松城を守り通し、浅井畷の戦いでは退却する
前田軍を果敢に襲撃してこれを散々に打ち破る
→前田家はビビって、前田利長の弟・前田利常を人質に出して、丹羽家と講和する
→関ヶ原の合戦後、改易
→1603年、常陸国古渡1万石で大名復帰
→徳川秀忠の御伽衆に、立花宗茂らと共に抜擢
→1619年、常陸国江戸崎2万石
→1622年、陸奥国棚倉5万石
→1627年、陸奥国白河10万700石(関ヶ原で改易されて10万石以上の大名に復活したのは長重と立花宗茂のみ)
→丹羽家旧臣や元の領主の蒲生家旧臣をどんどん雇い、白河小峰城を建築したので財政はひっ迫
→1637年、死去
・秀吉の成すがままに領地を失う・家康に目をかけられたのに西軍につく・城を作って財政を逼迫させる等、
政治力はないが、小松城籠城戦・浅井畷の戦いにみられるように戦術眼はあり、戦も上手
・築城の名手で、棚倉城、白河小峰城はいずれも評価が高い
・温和な人柄で、前田家が差し出した人質であり後の前田家当主・前田利常(当時6歳)は、長重に可愛がられ
長重が自ら梨をむいて与えるなどしたため、利常は晩年まで梨を食べる度にこの思い出を話した
一見、領地を失い、その後も家政で失敗をした二代目のボンクラに見えて、実は戦上手で築城の名手、
秀忠に信頼されて奇跡の10万石大名復帰を見せ、かつて人質とした利常に慕われるという不思議な大名
五郎左の自害がなければ坊ちゃん育ちで何も身につかなかったろうな
龍造寺の着到状だと300町だから3000〜4500石といったところだと思う
江戸時代の石直し以後は6000石
>>350
それだと海から得られる収入があっても、家計のやりくりはしんどかったかも。 >>345
戦と築城で返り咲いたのは、武将の鑑だな。
家臣増やして財政圧迫したのは、逆に温かい人柄が感じられる。
不器用だけど、根の張った生粋の武将って感じがするね。 【竜馬再来】 山本太郎、参戦!! 【総理待望】
ただ今「政府による米軍ヘリパッド強行建設工事の現場・高江からのレポートを中継中。山本太郎氏も参加しています。
http://tw itcasting.tv/iwj_okinawa1
日本国民はどう対処すればいいのか。
新しい政権は民意を反映し、適切な食糧、住宅の供給、健康管理、教育が最も重要な責任となるでしょう。そして最後に防衛です。
抑制のない成長に基づく現在の経済の終焉を見るでしょう。自由貿易はよくありません。物は需要がある場所で生産されるべきだからです。
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彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動(1種類の政治形態が世界中を支配する)をコントロールするのは、マイト レーヤの任務です。
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それは非常にまもなくです。マイト レーヤが世界に向かって話をする準備は良好に進行しています。この時、初めての本当の身分を明らかにされます。
25分か35分くらいかもしれませんが、歴史上で初めて、世界的規模のテレパシーによる接触が起こるのです。14歳以上のすべての人々はマインドの中で、自国語で聞くでしょう。
vo6n7NOk 房総半島の武田氏は小名だと思うが、マイナーでいいなあ。
マイナーというからには、戦国大名の定義をしないとな
どこかの保護国では大名とは言えまい。
信長の野望だと大名の配下扱いだけど
六角の蒲生・三雲とか
波多野の赤井直正とか
里見の正木とか
毛利の村上水軍とか
上杉の北越豪族衆(本庄とか)
結城の多賀谷とか
この辺あたりは独立性が高いし、従属とか家臣というよりは
情勢次第で寝返ったりできる程度の一勢力としてもよい力を持ってた
>>297
城井宇都宮は黒田家との絡みでいろいろエピソードあるから
黒田官兵衛つながりで意外と出番はある。
隈部は変な顔で有名になってるな。(一部で) >>356
半独立勢力の扱いが難しい。
普段は事実上の独立勢力であっても、戦場に赴けば盟主の指揮下に入るケースもある。 常に盟主の指揮下に入らない
(情勢によってあっちこっちに属す)
なら独立と呼べるんじゃないの
一貫して同じ勢力に属してるなら従属だろうけど
上とする大名が完全に統制できてない時点で独立
>>360
> 一貫して同じ勢力に属してるなら従属だろうけど
常陸の真壁氏や江戸氏はそういう感じかも。 >>357
地域大名とその寄り子の大名・小名の関係を表現できるシミュレーションゲームが出てくれると嬉しいな >>357
> 里見の正木
> 結城の多賀谷
事実上の半独立勢力だが、形式的には臣従しているんだっけ? お袋の先祖が小田氏治と繋がりがあることが判明したことにはワロタ
>>184
生駒に越してきて地元武将いないか探して見つけたのが鷹山氏だわw
wikipediaの松永久秀のページに家臣として列挙されてはいるが、当然個別ページなし
公慶上人の先祖らしいが、まぁドマイナーすぎる >>370
鷹山弘頼は安見宗房に殺されたのね
息子の世代をノブヤボで作ろうとして調べてたから、父親周辺の情報に当たらずじまいだった
ありがとう 歴史雑誌の戦国大名勢力分布図なんかにチョコチョコ名前が出てたり
信長の野望などで弱小大名勢力として登場する家はマイナーに見えるが実は準メジャー
この辺りに名前が出ないで尚且つ石高は一万石以上あるみたいな微妙なラインの独立した勢力が知りたい
独立した勢力ではなくて完全に〇〇家に従属、臣従家臣みたいな家は除くとして
>>377
幕末まで続いたのは越後村松藩の堀家とか。 >>376
飛騨の戦国時代は地元の人しか興味がないからな。 >>377
> 信長の野望などで弱小大名勢力として登場する家はマイナーに見えるが実は準メジャー
紀伊の堀内氏はどうなんだろ? 堀内氏はちょっと詳しく解説してるような雑誌だと
河内畠山の臣ではなくてきちっと独立勢力として記述されてたりしてるよね
堀内氏善に関しては中途半端な能力値の在地国人としてここ何作品かは登場してるけど
氏善の父、氏虎こそ登場させろよみたいな声は信長の野望スレではたまに聞く
堀内氏の最大版図は三重の尾鷲から一時はイルカ虐殺でお馴染みの大地町辺りまで広げて広大だし
信長に対しては臣従だろうけど北畠に対しては下位同盟者程度の位置づけで完全な子分ではなかったようだし
石高、領土的にも戦国時代における立ち位置的にもこのスレにピッタリかもしれん
三木は姉小路として単独の歴史イベントまでコーエーにつくってもらって
弱小ネタキャラ大名として慣れ親しまれてある意味、超メジャー大名だしな
内ケ島も幻の戦国大名としてTVなんかでもたまに触れられて知られてたりする
どちらかといえばそれらの勢力に一まとめにされがちな江馬や麻生野のほうがこのスレ的には良い感じ
飛騨だと姉小路(三木)の影に隠れて小島姉小路が知名度低すぎる
さらにその北の斎藤氏は信長に出たことすらないんじゃ
>>386
> さらにその北の斎藤氏
これは存在感がないねえw そりゃ越中半国を治める前の状態の神保に従わざるを得ないような勢力は
どんな名族だったとしてもマイナー大名としても認識されなくても仕方がない
マイナーそうなのあげればいいってものでもない
独立性とある程度の勢力規模がないとね
>>377
浄法寺氏はどうだろう。南部一族じゃないからゲームには出ないがそれなりの有力者 浄法寺氏はゲーム内の浄法寺の要衝地に浄法寺衆っていうランダム国人勢力として出現したりしなかったり
位置的には九戸麾下として活動する事が多かったのかな
ゲーム内の勢力分布で言うと信長の野望に限らず多くの作品で東北勢は久慈辺りから石巻辺りまで
勢力は居ない扱いみたいな空白地帯にされること多いな。久慈氏以外に確かにパッと思い浮かばない
遠野氏とか大槌氏とかの存在はどういった立ち位置にいたのか
東北は秀吉によって津軽、南部、安東、最上、伊達、上杉に纏められたからな。
どうやらお袋の先祖は、小田氏治麾下の城主だったらしいことが判明
詳しくは言えんがw
>>393
小田領内の城は少数だし、それほど防御力があったとは考えにくいから
いくさのときには困ったのではないだろうか? >>394
小田城落城前に滅亡した模様。
お袋の先祖は落ちのびて事なきを得たらしい。 >>391
浄法寺氏はれっきとした独立勢力であり九戸氏とも対等な間柄。ちなみに九戸の乱では信直側についてる。
仮に小田原に参陣してたら大名として認められていても不思議じゃない でも城の包囲中にこっそり領地に帰ってたのがバレて領地召し上げになってなかったか?独立勢力なら領地召し上げにはならんだろ普通
>>396
> 浄法寺氏はれっきとした独立勢力であり
形式上では南部氏に従属していたのではなかったか?
つまり半独立勢力。 自分達は鎌倉から続く名族で〜みたいな気概を持って自立した一族だと誇ってみても
周囲の勢力からはそう見られてないような氏族はいっぱいいただろうしな
何でもかんでもマイナー大名って事にされてもねえ
従属同盟ってやつだな
規模の大小は違うけど房総正木氏とか足利義昭追放後の徳川氏とかを独立した勢力と見るかどうかという問題
比較的、畿内中央に近い地域とか豊かな国力のある国なんかは近隣に諸勢力が割拠してるので
何かしらの関わり合いを待たねばならない関係上、完全な独立勢力って発生しにくいのかな
山奥離れた辺鄙な地域とか島嶼を拠点とするような勢力なら他家との関係に左右されずに自立して存在できそう
そんな場所である程度の地域としての豊かさも必要になっては来るだろうけど
>>401
自家の領土の内政権・統治権は持っているが、
いざ戦場に出た場合には他家の指揮下に入る。
このパターンはあちこちに存在していたのではないか? >>399
まあ南部そのものがマイナー大名の連合だからねえ。 浅利氏なんて比内の奥まったところで
分家筋がひっそりと存在してたようなものなのに
急に甲斐から来た本家筋が大名格にまで押し上げたんだっけ?
浅利氏ぐらいの規模があれば独立勢力自認してそうだけど
隣接した花輪氏程度だと南部や浅利の庇護下に置かれざるをえない
マイナー大名判定士の吉田と申します。
宜しく御願い致します。
織田信広を大河ドラマに!
最終話 人質交換
家康が天下をとれたのはすべて信広のおかげだった!
土佐七雄の津野氏の重臣、中平常定(元忠)は名将
もしこの人物が津野氏を相続していれば
四国の勢力図もまた違ったものになっていた
>>412
> 土佐七雄の津野氏の重臣、中平常定(元忠)は名将
ぐぐったが戦歴にヒットしない。どの戦いで活躍したのか? 元々、常定は津野家の跡継ぎとなる立場でもあったんだけど
家中内の諸事情が考慮されてほぼ同時期に生まれた弟が跡目を継ぐ事となった
そういった事もあって常定も成人してから弟と跡目争いを始めたりもしたんだが
兄弟争う事の愚を悟って自分から身を引いて中平姓に改姓して津野家を家老として支える道を選んだ
実弟である当主が一条氏領にちょっかいを出した挙句、討死してしまった後は
甥にあたる新当主を補佐しながら30年間近くの間、一条氏の津野領侵攻を防いだばかりか
逆に土佐湾の沿岸部にまで進出し津野氏の領地拡大に貢献した
一条氏の大功勢に抗えなくなった際には自分の命と引き換えに当主の助命を一条氏に懇願し
赦された後は一条氏家臣、津野氏の陪臣として一条家に仕える身となった
特別、どの戦いで具体的にどのような活躍をしたとかの類が伝わっている武将というわけではなく
津野家という中土佐地域で一時は威勢を揮った一族の重鎮であまり知られていない名将がいたよという話
津野氏も一条氏も元親の土佐統一には大きく関わった氏族だしね
津野氏出身の名僧だか文化人だかがいたのではなかったかな?
肥後の方が菊池氏没落からの国人乱立でくそマイナーだゾ
信長の野望じゃ阿蘇氏配属になってたりするけど
でも菊池に従ってた国人や重臣層って
菊池市没落後、即、ほぼ大友配下みたいな扱いになって
自立した動き出来た奴等なんて少なくないか
かっての菊池領を大友か阿蘇か相良の近隣の勢力から後ろ盾貰って
重臣層がそれぞれ奪い合ってただけのようにも見える
まあ九州の事はほとんど知らないので自信も何にもないけどw
肥前=佐賀県ってイメージで
長崎県も肥前って言われると
どうにもしっくりこない
>>421
大友が強いうちはな
大友の影響力が弱まると龍造寺派、大友派にわかれて島津が伸長すると島津派も出てきて大混乱
隈部氏
龍造寺を盾に熊本北部を制圧
その後島津しと戦い降伏、所領安堵
九州征伐では秀吉に降伏、所領安堵
肥後国人一揆を主導し滅亡
赤星氏
龍造寺に属していたが、龍造寺に人質を殺され島津に転向、沖田畷で奮戦
その後も島津と行動を共にしたため所領を失う。一族は加藤家に仕えた。
城氏
龍造寺派の肥後勢力拡大を受けて島津派に属する。
島津と共に阿蘇氏と戦うが敗退。龍造寺に屈する。
九州征伐では秀吉に降伏、隈本城を明け渡し大阪に住んでいた為、国人一揆の連座を免れる。
一族は細川氏に仕えた。
和仁氏
大友派であったが、龍造寺派に田中城を落とされる。
島津の援護を受けて田中城に復帰。
肥後国人一揆で最後まで抵抗し撫で切りされた。 >>423
> 和仁氏
> 大友派であったが、龍造寺派に田中城を落とされる。
> 島津の援護を受けて田中城に復帰。
> 肥後国人一揆で最後まで抵抗し撫で切りされた。
これは古代豪族の和邇氏と無関係なの? キター
『歴史群像』2019年12月号 (11月6日発売)
第2特集 南部氏VS.津軽氏 陸奥北部で展開された虚々実々の闘争
南部と津軽はそのうち勉強しようと思いつつ後回しにしている
きっと隠れた竜虎に違いない
YOUTUBEの南部氏についての動画で津軽氏の出自は元々、久慈氏だから
甲斐国から久慈氏領に入ってきた南部氏こそが部外者なので津軽氏の南部領簒奪は
正しい事で批判されるべきは侵略者・南部氏みたいな感じで力説してる変人いるよな
>>429
それだと
越後国佐橋から吉田郡山に来て
安芸守護の武田氏を討った毛利家も侵略者になる >>430
為信の実家と言われる久慈氏も婿入り先の大浦氏もどっちも南部系の氏族だから429で言われてる変人の主張はおかしい 蒲生氏さと
誰?
TV番組の最強は誰だ本当に強い戦国大名で初めて聞いた戦国大名でした。コーエーの戦国無双に出てますか?
信長の婿で松坂の基礎を作り、政宗の抑えとして会津に入った武将
最終的には91万石だったか
利休七哲の一人でもあり、ここで語られる武将ではないでしょ
無双は知らない
蒲生氏郷は信長の野望だと高ステータスだし固有の志もらってるしで有名大名枠
無双だと本編ではモブ武将ちょくちょく見かける
empiresだと普通に大名やってる
マイナー戦国大名の定義も難しいね
信長・秀吉・家康・上杉謙信・武田信玄・伊達政宗あたりはメジャー大名だけど、詳しくない人からするとそれ以外はマイナーだろうし
数郡以上支配してるのが戦国大名の定義らしいけど(wikipedia調べ)、数郡も支配してたらその地域に詳しい人からすると全然マイナーじゃなさそう
陸奥石川氏はマイナー大名だと思うが官位はけっこう高かった。
美濃石川氏
織田(津田)豊臣徳川(松平)が凄すぎるからか美濃尾張三河の小大名て無視されがちだな。